わたあめちゃんのお墓

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メンヘラ来歴

初めてのゼミの自己紹介で「重い話なのですが」と両親の離婚とパニック障害の発病について話した子がいて、わたしも自分語りをしたくなったので書きます。気長にお付き合いください。

 

 

死にたいと思うようになったのは小学4~5年生の頃からでした。

親は離婚していました。ヒステリックで理不尽な母親の振る舞いに毎日のように苦しめられました。出で行けと言われて裸足で外に出されたこともありました。足の裏に突き刺さる砂利が痛かったことを今でも覚えています。

学校に友達はおらず、よくハブられていました。ときどき誰かに靴を捨てられたり、下駄箱に匿名で死ねと書かれた手紙が入れられたりもしていました。

居場所なんてどこにもありませんでした。しかし、このころのわたしは自分のストレスや自殺願望と今よりもうまく向き合えていました。自殺未遂や自傷行為に走ることはなく、ノートに鬱憤や悲しみといった感情を書き連ねていました。

 

6年生のとき、学校の図書館にあった心理系の本を読んで手首を切る人がいることを知り、リストカットを始めました。はじめ手の甲側の方を切っていたのが内側を切るようになり、つくる傷はどんどん深いものになっていきました。それらは一生消えることのない傷跡となり、今もなお増え続けています。

 

それからしばらく波はあるもののそのような状態が続きました。

高校二年生の冬、何人目かの彼氏ができました。遠距離でした。3月21日に彼は自殺をすると言って、大きな川に架かる橋へ向かいました。遠くにいるわたしに為す術はありませんでした。無力でした。しかし、彼は同じ場所で自分のほかにもう一人自殺しようとしている人がいたからと自殺を断念してくれました。

元カノを自殺で亡くした彼さえも死のうとしているのをリアルタイムで聞いていて、どこかが壊れてしまったのでしょうか、もともとあった死にたいという感情に加えて、死ななきゃという強迫観念に取りつかれるようになりました。

彼が自殺を思い留まった翌日、わたしは高校の4階から飛び降りようと思いました。最後となるはずだった日本史の授業を受けて、講演会をサボり、普段は足を踏み入れることのない4階に登り、トイレの窓を開けました。下を見ると、コンクリートの上には重い雪が積もっていました。飛び降りたら血肉と雪が混ざる、そのことが恐ろしくて飛び降りるのをやめました。いや、単に飛び降りること自体が恐ろしかったのでしょう。トイレを出て保健室に向かいました。体調不良以外で保健室を利用しようとしたのは初めてでした。向かう途中で涙が零れて止まらなくなりました。

保健室の先生に事情を話しました。とにかく死なないように諭され、それから先生方によるいわば私の保護のようなものが始まりました。わたしは徐々に保健室に入り浸るようになっていき、授業にも出なくなっていきました。

 

ここから先の話は時系列で思い出すことが困難だったので、適当に書きます。ご了承ください。

 

希死念慮が頭から離れる日はなく、死に方を調べることで自身をセーブしていました。精神疾患自傷行為について調べることもありました。夜は翌朝死んでいることを祈り、タオルで首を絞めて寝ていました。首吊りを始めました。何度もいろいろな素材を試しましたが、意識を失うことすらありませんでした。彼氏の影響で始めたTwitterオーバードーズたるものを知り、いくつかの薬で試しました。

彼氏の勧め、というよりは懇願で、精神科の受診を決めました。最初は保健室の先生に、合同庁舎で行われている精神科医による無料カウンセリングに連れて行っていただきました。しかし、その診断に納得できず、後日、母親との殴り合いの喧嘩の末にほかの精神科にかかりました。診断は合同庁舎で下されたものと同じものでした。薬物治療が始まりました。なかなか合う薬が見つからず、少し大変でした。

ある日のことです。午前11時ころでした。先日ニュースで見た延長コードでの首吊り自殺を参考に、首を吊りました。やっと死ねるんだと思い何度か試みましたが、結局うまくいきませんでした。その当てつけやSOSの意味を込めて、自宅の2階から飛び降りました。わたしは死ななければいけませんでした。死ぬためにはこれくらいできなきゃダメだろうと思って、その後のことは考えないようにして飛び降りました。飛べました。着地して、地面を見ると血が垂れていました。かけていた眼鏡がとれ、レンズは傷ついて枠から外れていました。外しておけばよかったなあと少し後悔しました。手足に激痛がありました。自分では手当てができませんでしたので、血と土を洗い流して痛む体で普通に行っても1時間かかる道のりを登校しました。ものすごい高揚感でした。心臓がどきどきしていました。保健室で先生に話すと担任と学年主任の付き添いでかかりつけの精神科に連れていかれました。

飛び降りてからというもの、不思議と死ななきゃという気持ちからは解放され、少し楽になりました。治療は続きましたが、だんだん良くなっていくのを実感していました。

 

これでおしまいです。めでたしめでたし。