わたあめちゃんのお墓

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やっと元彼と呼べるようになったけれど

今日、授業中に、隣に座っていた友達に、筆箱に付いているストラップが可愛いと褒められた。それは、少女終末旅行の最終巻あたりのおまけについていたちーちゃん。黒髪の方の子。元彼からおそろいで付けようねと貰った物だった。
もう別れてから随分経つのにまだ付けたままでいた。これは未練があるとかそういうわけではなく、ずっと付けていたら空気みたいな存在になって忘れていたからだ。と、信じている。ときどき、これはあの人から貰ったやつだなぁと思い出すことはあったが、当時はまだよりを戻す可能性があったので取り外さないままでいた。でも、もう外してしまおうか?
昨日、ちょうど元彼の写真を消す作業をした。やっと未練が無くなって消す気になった、などという訳ではない。たまたま他の作業をしていたら目に付いたのでこの際一気に消してしまおうと思ったのだ。彼の顔を直視するのはそれなりに辛かったし、彼の描いた落書きを少しでも目にするとしんどかった。だから、それらは全て消した。けれど、あの人の撮った綺麗な風景の写真と、わたしの落書きをあの人が加工してくれたものは消せなかった。結構ハイクオリティなので見てほしいが、勝手に見せて良いものなのか怪しいので、ここでは避ける。
画像を消している間、何度もあのとき彼のことが好きだったことを実感した。いや、実感とは少し異なるかもしれない。他人事のような感じでもあった。
わたしはかなりあの人のことが好きだったのかもしれない。もしかしたらそれはただの依存にすぎないかもしれないが、ここでは「好き」と表現させてほしい。その方が都合がいいし、汚くない。あのひととはじめて別れた直後、わたしはまだ「彼氏」と呼んでしまうのに、もう誰も「✕ーちゃん」と呼んでくれないことが寂しくなり、縮小垢のハンドルネームを「✕ーちゃん」に変えた。相互にも✕ーちゃんという名前の人がいたはずだけれど、あまり気にしないことにした。今も、少しの変遷は経たもののその名前のままだし、フォロワーには概ね✕ーちゃんと呼ばれている。この名前の背景には元彼がいるから、この名前のままで良いのか疑問に思うこともあるが、変えられる気はしない。

話は戻る。少し考えてみたが、筆箱のストラップは今はまだ外せないだろう。なぜなのかはよく分からない。なんとなく外したくないような気がする。ちなみにもうよりを戻す可能性はない。だから、付けている理由は無いはずなのに、なぜだろう。愛着でも湧いたのかな。

(2019/6/19)