わたあめちゃんのお墓

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Coccoで母を覗いた

9月の頭に帰省した際に実家から持ってきたCoccoのCDをパソコンに取り込んでいた。二枚組のピンクのCDで、わたしが持っているCoccoの作品はこれだけだ。プラスチックのケースを開いたら、Coccoのもの以外にコピーしたバンプのものとピロウズのものがあった。先にその二つを取り込んだ後で本来の目的であったCoccoに取り掛かった。どうでもいいのだが、ネット環境があるとCDの取り込みが楽でいい。曲名とアルバムとアーティストを入力する手間がないのは非常に時間も体力も節約できる。

二枚目のCoccoを取り込んでいる最中、ぼおっとパソコンの画面を眺めていたら、タイトルの下に2001と書いてあった。おそらくこのCDを出した年だろう。わたしが生まれた年と同じだった。そして、母が二十歳になった年。

このCDはわたしの年齢が二桁になったころ、母の運転する車の中で見つけたものだった。うちの車は「移動物置」の異名を持ち、大変散らかっていた。その中に、CDらしきものがあったので、手に取ってケースの背面、曲名の載っている部分を見てみたら、「遺書。」の文字がとても心に引っかかったのである。当時、既にわたしは自殺を考えたことがあったので、この人の曲で救われることがあるかもな、と期待したのである。少し考えてから、母に「これなに?」と尋ねた。かなしいうただよ、と教えてくれた。「いる?」と訊かれたけれど、変に思われることを懸念して首を横に振った。その数年後、結局わたしはそのCDを譲ってもらった。余談だが、前述したバンプピロウズも全部母から譲ってもらったものである。

いつこのCDを買ったのか知らないけれど、母もわたしと同じかわたしより少し大きいくらいの年のころ、Coccoを聴くタイプの人間だったのである。メンヘラ、とまで言ってしまうと飛躍しすぎなような気がするけれど、おそらく、母にもわたしと同じ要素がきっとあって、わたしと同じ種類の人間なのだろう。普段強そうに振舞っているけれど、傷ついてばかりだろうし、母になる前はわたしと同じくらいには弱かっただろう。母となって、それからシングルマザーとなって、そういった環境の中で少しは強くなりうまいやり方を身に着けていったのだと思う。

母は泣くときは大きな声を出すし、悲しいときは怒りとして感情が外に出てきて、ヒステリックに怒鳴るときが多かった。それに対して、わたしは、悲しみは悲しみのままで、怒りという感情はあまりなくて、望ましくないと思われがちな感情はそれほど外に出ず、すべて自分に向かいがちだ。その点でわたしと母は別人種のように見られるけれど、きっと本質的な部分は同じだし、わたしも母親になったりあの頃の母と同じ年代になれば母のようになるのかもしれない。とても嫌だけれど、血がつながっていて、彼女に育てられた以上どうしようもないと思って割り切るしかない。

 

20191005