わたあめちゃんのお墓

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「死の恐怖」を教えてくれ

20190806

「しぬのがこわい」というのはどのような感覚なのだろう。
わたしも、飛び降りるときや車道に飛び出すとき、線路に侵入するときなど、直後の死を完全に予測するときは恐怖を感じた。しかし、それは死への恐怖なのか?死ぬ際の痛みや、或いは、自死に失敗したときの後遺症や叱責などへの恐怖ではないのか?また、いとしいひとが死んでしまうことへの恐怖は少なからずあるが、それはおそらく彼の存在しない世界で自分が生きていくことへの恐怖(不安)に過ぎないだろう。
ふしぎと、首を吊るときはそれほど怖いと思わない。また、自分が死んだあとの世界を憶測してみても全く恐怖心はない。それは死んだあとにわたしが属するであろう世界(その存在をわたしはあまり信じていない)にしてもそうだし、わたしが死んだあとのわたしのいない現世にしてもそうである。だから、およそ死とは程遠いと思っていそうな人の言う「死への恐怖」や、発達心理学の講義で聞いたおそらく一般的な「死への恐怖」が全くわからない。ジジイババアになれば死の受容とやらが起こるらしいが、それは死期を何となく悟ったときに長い人生を重ねてきた自分を見つめかえすプロセスがあって初めて成り立つものだという説明を受けたし、少なくともわたしはそのように解釈した。わたしに死への恐怖がない(と思い込んでいるだけかもしれない)のは、統合性の獲得とは何ら関係のないものであるそうだ。
だからわたしに死の恐怖が無いなどということはないのではないか。どこかにあるのではないか。しかし、わからない。もしかしたら、その感覚を誰かに教えてもらえれば自分のなかにそれを見つけられるかもしれない。しぬのがこわい、という感覚を、どなたか御教授願いたい。