わたあめちゃんのお墓

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文章完成法テスト

こちらに越してきてから2回目の通院で、慶応大学の先生が作った、指定された文頭の語句から文章を完成させるという心理検査をやってくるように言われ、その冊子を渡された。わたしは心理検査なんてこじつけのようなものだろうと思っているが、この検査はTwitterでよく見る大喜利に似ているようにも思われ、変に面白かったので、ちゃんと時間をかけて考えてやろうと、こちらでやることにした。本来、この検査は、思いついたままになるべく早く埋めていくものらしい。なぜか二つに分かれていて、計60問ある。以下にその問題(冒頭の語句)が載ってしまっているが、それをネットの海に流していいのかよく分からないので、その意味でわたしのこのブログに問題があれば教えてほしい。


*** *** ***

Part Ⅰ
(子供の頃、私は)虫も蛙も花も好きで、話によると両親と弟のことも好きだったようで、世界のすべてを愛おしく思っていたのかもしれない。
(私はよく人から)見た自分の姿を想像し、いろいろなことを懸念するけれど、きっと誰も私のことをそんなふうにジロジロ見ていないだろうと信じている。
(家の暮し)は温かいものだと思っていた。しかし、それだけではなかった。
(私の失敗は)人を喜ばせる。
(家の人は私を)守ってくれるが、同時にきつく縛り付けている。法律みたいだ。
(私が得意になるのは)醜いことだと思ってしまうのは、日本の悪しき風潮の影響なのであろう。
(争い)は生物の在る限り、絶える日は来ない。
(私が知りたいことは)100年経っても200年経っても解明されることは無いだろう、自分なりの答えを探して、それをひとり信じ続けることしかできない。
(私の父)のひどいところばかり母から聞かされてきたため、私自身まで父のことを軽蔑するようになってしまった。
(私がきらいなのは)人間であるが、それでいて人間という存在、人間という集団をいとしく思うのだ。
(私の服)は他人から見られるためには作られてはおらず、私が楽しむためにある。
(死)を恐れる気持ちが全くわからない。宗派の違いだろうか。
(人々)は人類の滅亡を願うべきだし、出生をやめるべきなのに、そのことに気づいて行動を起こしている人はあまりにも少なすぎる。
(私のできないことは)他の人に全てやらせる。
(運動)会をやっている音が聞こえてきて、わたしはただ真っ直ぐに、彼らが楽しめていればいいなと願った。
(将来)なんて要らない。全て捨ててしまいたい。
(もし私の母が)絵に書いたような優しくて穏やかな母親だったら、わたしはこんなことになっていなくて、幸せだったのだろうか。そのような母を想像すると、随分と気持ち悪い。
(仕事)をすることで死に近づけるけれど、その苦痛は普通に自殺するのと同じくらいか、下手をすればそれよりも大きい。
(私がひそかに)隠している物事は多すぎて、私自身でさえどこに隠したか、挙句の果てにはなにを隠したか、忘れてしまった。
(世の中)の不条理さを呑み込んで生きていける人と、そうでないわたしは、なにがちがうのだろうか。
(夫)にどこまでなら求めても許されるのだろう。健康と、経済力と、愛情は、お願いしてもいいですか?
(時々私は)ありふれたなんでもない風景や毎日見ているような光景に、すぐには形容できない特別な感情を覚えて、時にその対象物から物語を受け取る。
(私が心をひかれるのは)仲睦まじい夫婦であり、穏やかな時間が流れている家族である。
(私の不平は)多く、親しい人にばかりそれが集中的に流されるので、彼らは内心わたしを疎ましく思っているかもしれない。
(私の兄弟は)気難しく、度々母を悲しませているが、姉であるわたしの前では楽しそうによく喋る可愛らしい弟になる。
(職場では)誰もが死んだ顔をしながらパソコンに向かっていることを、上層部のえらいひとたちはきっと全く知らないのだろう。
(私の顔)は汚く、ただ目だけが浮き気味に輝いている。
(今までは)、などと言って一言でまとめられるような人生など、だれも過ごしてきていないだろう。
(女)性であるからというだけで不利な状況に陥りがちな社会は変えていくべきだと何年も前からずっと言われているはずなのに彼ら彼女らがフェミニストだと揶揄されることもあり、フェミニストがある種の蔑称となる文脈もあり、たいへん思わしくない。
(私が思いだすのは)いつも唐突で、何かしらの刺激によって過去の場面が脳裏に浮かんでくるのだが、当時それが良いものであったとしても、思い出したときには全て悪いものとなって私を苦しめる。


Part Ⅱ
(家では)いつもひとりだけれど、お隣のお兄さんのお部屋から物音が聞こえて、時々実家にいる感覚になる。
(私を不安にするのは)過去の経験であり、わたしの内部意識であり、どうしようもない社会のなりゆきである。
(友だち)なんてきっと1人もおらず、誰しも内心わたしを疎ましく思っていたり嗤っているはずだ。
(私はよく)自殺したくなるが、自殺の方法を調べ、喫煙し、手首を切り、首を絞め、薬を大量に飲むことでそれを回避している。しかし、それに意味はあるのだろうか。
(もし私が)死にたくならない毎日を送れたとしたら、あなたはしあわせですか?
(私の母)とは弟が卒業して祖父母が他界したらその瞬間に縁を切ってもう二度と会わないでいる予定だ。
(もう一度やり直せるなら)、などと考える余力がどこにあるのだろう。
(男)は自身の醜さを一刻も早く正しく認識すべきだ。
(私の眠り)が永遠になることによって救われる人は手を挙げてください。
(学校では)誰とも関わらず講義だけ受けて必要に応じて機械的なやり取りをするというのがオーソドックスであったならどんなに楽だっただろう。
(恋愛)至上主義は間違いなくもっとも廃れるべき考え方である。
(もし私の父が)まともな人だったなら、と考えたことがないと言えば嘘になるけれど、私の父がまともな状態であることをうまく想像できなかった。
(自殺)は罪ではなく、無関係の人々が自殺という行為を悪とみなしてあれこれ干渉したり非難したりすることは間違っているのではないか。
(私が好きなのは)お花畑が広がっている場所の空気と同じような穏やかさのあるところである。
(私の頭脳(あたま)は)人間生活にそぐわないほどスペックが高いのかもしれない。
(金)がなければ幸せになれないのに、金があっても幸せになれるのは限らない。金という概念を作った人を憎んでも許されるだろうか。
(私の野心)なんて見たことがないな。
(妻)となる人、妻である人。
(私の気持)は激しく揺れ動き、私自身を苦しめる。
(私の健康)が完全な時間はほとんどなく、大抵いつもどこか具合が悪い。
(私が残念なのは)人口の減少に危機感を覚える人の多さである。
(大部分の時間を)Twitterに費やすこのような生活も、人には言えないけれどわたしは嫌いではない。
(結婚)したいが、結婚願望が醜いものに思えてしまうので、早く結婚してそれを解消すべきなのかもしれない。
(調子のよい時)には周りを見ずにはしゃぎすぎてしまう。
(どうしても私は)私の身体や精神から逃れられないのだろうか。
(家の人は)優しい?ご飯作ってくれる?よく叱られる?
(私が羨ましいのは)自身の幸福に気づかず不幸な様相をしている人々である。
(年をとった時)きっとわたしは醜いだろうから早めに死ななければならない。きみたちも。
(私が努力しているのは)誰もが頼んでもいないのに認めてくれるけれど、自分では認められず、私がわたしの頑張りを容認してくれたときは不覚にも泣きそうになる。
(私が忘れられないのは)小さい頃に見た怖い夢の話だ。

Coccoで母を覗いた

9月の頭に帰省した際に実家から持ってきたCoccoのCDをパソコンに取り込んでいた。二枚組のピンクのCDで、わたしが持っているCoccoの作品はこれだけだ。プラスチックのケースを開いたら、Coccoのもの以外にコピーしたバンプのものとピロウズのものがあった。先にその二つを取り込んだ後で本来の目的であったCoccoに取り掛かった。どうでもいいのだが、ネット環境があるとCDの取り込みが楽でいい。曲名とアルバムとアーティストを入力する手間がないのは非常に時間も体力も節約できる。

二枚目のCoccoを取り込んでいる最中、ぼおっとパソコンの画面を眺めていたら、タイトルの下に2001と書いてあった。おそらくこのCDを出した年だろう。わたしが生まれた年と同じだった。そして、母が二十歳になった年。

このCDはわたしの年齢が二桁になったころ、母の運転する車の中で見つけたものだった。うちの車は「移動物置」の異名を持ち、大変散らかっていた。その中に、CDらしきものがあったので、手に取ってケースの背面、曲名の載っている部分を見てみたら、「遺書。」の文字がとても心に引っかかったのである。当時、既にわたしは自殺を考えたことがあったので、この人の曲で救われることがあるかもな、と期待したのである。少し考えてから、母に「これなに?」と尋ねた。かなしいうただよ、と教えてくれた。「いる?」と訊かれたけれど、変に思われることを懸念して首を横に振った。その数年後、結局わたしはそのCDを譲ってもらった。余談だが、前述したバンプピロウズも全部母から譲ってもらったものである。

いつこのCDを買ったのか知らないけれど、母もわたしと同じかわたしより少し大きいくらいの年のころ、Coccoを聴くタイプの人間だったのである。メンヘラ、とまで言ってしまうと飛躍しすぎなような気がするけれど、おそらく、母にもわたしと同じ要素がきっとあって、わたしと同じ種類の人間なのだろう。普段強そうに振舞っているけれど、傷ついてばかりだろうし、母になる前はわたしと同じくらいには弱かっただろう。母となって、それからシングルマザーとなって、そういった環境の中で少しは強くなりうまいやり方を身に着けていったのだと思う。

母は泣くときは大きな声を出すし、悲しいときは怒りとして感情が外に出てきて、ヒステリックに怒鳴るときが多かった。それに対して、わたしは、悲しみは悲しみのままで、怒りという感情はあまりなくて、望ましくないと思われがちな感情はそれほど外に出ず、すべて自分に向かいがちだ。その点でわたしと母は別人種のように見られるけれど、きっと本質的な部分は同じだし、わたしも母親になったりあの頃の母と同じ年代になれば母のようになるのかもしれない。とても嫌だけれど、血がつながっていて、彼女に育てられた以上どうしようもないと思って割り切るしかない。

 

20191005

精神科に行かなかった言い訳

先日、精神科に行ってきました。大学の側からほとんど強制のような感じで行くように言われ、大学の職員同伴で連れていかれました。もともと行っていた病院からその病院への紹介状は既に3月にもらっていましたが、行くのが億劫で行く意義も見当たらず半年ほど放ったらかしていました。高い金を払ってまでもらった紹介状なのに、と少し勿体ない気持ちで居たので、それを払拭できたという意味では行った意味はあるのかもしれません。
その病院でわたしは初診でしたのでたくさんの検査をし、とても時間がかかりました。身長体重と血圧・心拍数・血中酸素濃度を測って、心理士さんに生活歴などをお話し、主治医と話をして、血液検査と心電図をとり、木の絵を描きました。前の病院では、チェック式の質問に答えて提出して10分くらい主治医とお話するだけだったので、病院によってこんなにも差があることに感慨を覚えました。それにしても、木の絵なんか書いたところで精神状態やその人の気質なんて分かるわけがないと思うのですが、どうなのでしょう。
薬は出されませんでした。わたしが断ったのです。
2週間後また来るように言われ、その日が今日なのですが、3日より前から行く気が起こらず、寝坊を理由に行っていません。連絡も入れていません。この先精神科が必要になったときどうすればいいのかと考えると少し気が重くなりますが、それはそのときに考えましょう。

精神科なんか、行ったって薬が出されるだけなのです。しかもその薬に、希死念慮や苦しみを抑えることができるものは無くて、不安を取り除くだとか脳味噌の興奮を抑えるだとかして、わたしの場合間接的に苦痛を軽減していくのです。その上副作用がえげつなくて生活もままならなくなり、更なる苦痛に襲われるのです。眠気や不眠、手脚の不快感といった副作用に耐えられるだけの忍耐力や自制心が無いわたしがいけないのかもしれないなどと考えてしまい、情けない気持ちになるので、薬によって助けられたことがとても微々たるものに思えてしまうのです。でも、眠気と不眠の両立はやめていただきたいですよね。そういった訳でわたしは精神科を信じて頼ることができなくなり、自分はこの病院の金ヅルなんじゃないかという疑念が頭から離れなくなりました。さらに、長い時間待たされて高いお金を払いに遠方まで出かける、それを考えると誰しも行く気が無くなると思います。だからといって行かなかったのはわたしの落ち度で、「また来てね」「わかりました」と言った約束を平気で破ってしまった罪悪感は拭えず、「キチガイべういんはブッチするものだ」という言葉に頼るしかありません。
しかし、わたしは既に精神科なんかに行く必要はなくなっていると思うのです。わたしの負の感情の根源は見つけつつあるし、コントロールできるとまでは言わないけれどアレに呑み込まれて変な気を起こすなんてことはもうないはずです。診断名は統合失調症ですがそれらしき症状もほとんどなく、家族など身近な人間からはお前は精神科に通うような人間ではないと言われています。わたし自身、死ななきゃおっけーだと思っているので死にそうにならない限り精神科には行かないと思います。慢性的な吐き気や時々来る解離みたいなものがあっても、わたしは大丈夫なのです。

20190919

堕胎を考える

🔞

どうでもいい人とのは断固拒否だけれど、好きな人と避妊しないでセックスするのは、幸せな気持ちになるし興奮するので、好き。後先のことも考えていないわけではないしきっと常に頭の片隅にあるけれど、行動に移してしまう。今までの人たちはゴムをつけないでいれようとすると力ずくで拒まれた。しかし、彼は(最初に限って)口上でさえダメだと言わなかった。そのまま射精された。なんとなくその瞬間が分かって、やってしまったなぁとは思いつつも幸せだった。
その数日後、彼もわたしも自宅に帰り、また顔を合わせられない日々が続くこととなった。
Twitterで幸せそうな家族の話を読んで、色々刺激されたのか、泣いてしまった。わたしは子どもを産みたくないし、産むのは怖いし、育てるのも怖いし、日本人の6~7割くらいの人たちは産むに値しないと思っている。言わばアンナタ気味。しかし、幸福な家庭には憧れるし、彼とそのような家庭を築きたいとも考えるのである。だが産みたくないので、猫を飼いたいと夢想するのであるが、ひょっとしたら既に今わたしのお腹の中にいるかもしれない。彼との子ども。なんだかすこしいとおしかったが、堕胎は前提であった。そういう話をした。ハサミで切って引っ張って殺さなければならないのがとても心苦しかった。せっかく来てくれたのに、わたしが馬鹿だったせいで苦痛や恐怖と共に理不尽に殺されなければならなくなった子どものことを思うと、涙が止まらない。
堕ろすにしても、お金もかかるだろうし、わたし一人では決めたくない。彼が逃げ出すとは思っていないけれど、それでもこの距離では顔を合わせて相談することも難しいし、診察や検査、そして実際に堕ろすときも同伴してもらえるかというとたぶんそうでもない。1人で耐えなければならないだろうし、彼にも実感してほしいのに、それすらできないかもしれない。とりあえずわたしは距離を憎んだ。
ここまで書いたが、検査薬はまだ使っていない上に、妊娠の可能性も周期を考えるとかなり低い。しかし、わたしの月経周期はかなり適当だし、今月は不正出血があったのでどうなっているのか分からないので、もしかしたら、は有り得てしまう。考えたくないけれど、考えなければならないことだし、考えずにはいられなくて、頭をぐるぐる回っている。それでも、避妊しなかったことには全く後悔も反省も無い。不謹慎ではあるが妊娠できない身体になりたい。

「死の恐怖」を教えてくれ

20190806

「しぬのがこわい」というのはどのような感覚なのだろう。
わたしも、飛び降りるときや車道に飛び出すとき、線路に侵入するときなど、直後の死を完全に予測するときは恐怖を感じた。しかし、それは死への恐怖なのか?死ぬ際の痛みや、或いは、自死に失敗したときの後遺症や叱責などへの恐怖ではないのか?また、いとしいひとが死んでしまうことへの恐怖は少なからずあるが、それはおそらく彼の存在しない世界で自分が生きていくことへの恐怖(不安)に過ぎないだろう。
ふしぎと、首を吊るときはそれほど怖いと思わない。また、自分が死んだあとの世界を憶測してみても全く恐怖心はない。それは死んだあとにわたしが属するであろう世界(その存在をわたしはあまり信じていない)にしてもそうだし、わたしが死んだあとのわたしのいない現世にしてもそうである。だから、およそ死とは程遠いと思っていそうな人の言う「死への恐怖」や、発達心理学の講義で聞いたおそらく一般的な「死への恐怖」が全くわからない。ジジイババアになれば死の受容とやらが起こるらしいが、それは死期を何となく悟ったときに長い人生を重ねてきた自分を見つめかえすプロセスがあって初めて成り立つものだという説明を受けたし、少なくともわたしはそのように解釈した。わたしに死への恐怖がない(と思い込んでいるだけかもしれない)のは、統合性の獲得とは何ら関係のないものであるそうだ。
だからわたしに死の恐怖が無いなどということはないのではないか。どこかにあるのではないか。しかし、わからない。もしかしたら、その感覚を誰かに教えてもらえれば自分のなかにそれを見つけられるかもしれない。しぬのがこわい、という感覚を、どなたか御教授願いたい。

からっぽの穴から漏れる涙

斜視と聞いて思い出した。

片目を失った知り合いがいる。どういった経緯でそのようなことになったのかは知らないが、あるときから左目に眼帯を付けてくるようになり、しばらく経っても外れることはなかった。はじめこそ気になっていたものの、そのうちにわたしもその子のその姿に慣れていった。
ある日、先生からその子が話したいことがあるようだから来いと言われた。わたしはその子のことが好きというわけではないので、正直なことを言うと、面倒に思っていた。しかし、わたしに拒否権はあるはずもないので、仕方なく廊下に出ると、わたしとその子のほかにもう二人待っていた。
そこでわたしは彼女の眼帯の中がからっぽだということを聞いた。
わたしも正常な感覚を持っているので、その話は結構ショックだったし、どのような顔をしてどのような言葉をかければいいのかわからなかった。
話をしているうちに、その子の目から涙が出てきた。そりゃもちろん本人がいちばんつらいにきまっているだろう。わたしはその子の事情なんかまったく興味がわかなかったが、眼帯で隠れているその空洞からも水滴が零れているのか、そのことばかりが気になってしょうがなかった。
その子はそのとき、手術をして義眼を入れると言った。その言葉の通り、日が経って再会すると、眼帯が外れていた。ふむ、本物と遜色ないな。そう思った。しかし、よく見ていると、両目が合っていないことがしばしばあると気付いた。彼女からあんな話を聞かなければ、そんな些細なことになど気付かずにいられたかもしれないし、彼女のことを考えるとき常に同情心を抱いてしまうなんてことはなかったはずなのに、どうしてあの子はわたしたちにあの話をしたのだろうか。大して仲もよくないわたしにそんな重たい話をしないでほしい。

すきなひとに元カノがいること

元カノという存在が嫌いな人は結構いる気がする、「元カノ地獄」という歌があるくらいだから。けれど、わたしは、好きな人の元カノの影を感じるのが好きかもしれない。もちろん、元カノとは完全に縁が切れているという条件の上でだが。

こんなハグが良いとか、こういうデートが好きとか、ハグもデートもわたしとなんてしたことが一切無いのにそういうことを言えてしまうことの裏には、昔の恋人との経験があって、そこに元カノの影を感じずにはいられない。もしかしたらその子だったからそういったことが楽しめたのかもしれないのに、当たり前のようにそれがわたしにも当てはまると思っている愚かさも好き。

彼にわたしの立ち入れない部分があることや、変容することのない思い出があることも良い。すべてを知りたい、すべてわたしのものにしたいという気持ちも少しはあるのかもしれないけれど、そうなったらそうなったでつまらないような気がする。わたしがすきなひとを“ひとりの人間”として見続けるためには、そのくらいの距離感がどうしても必要なのだ。わたしをあいしてくれるひとは、たとえそれがわたしがすきなひとでも、容易くわたしを満足させる“道具”になりうる。そして、その末路は概ね見える。

もちろん、すきなひとがかつて他の女性を本気で愛していたことを考えると、気に食わないなぁという思いは湧く。彼の初めてがわたしじゃないのも多少は嫌だし、他の女が寝たベットにわたしを寝かせてると思うとそれなりに不快ではある(まあそんな経験は一度もないんだけど)。でも結局その女性とは上手くいかなかったわけだから、そんな女性は眼中にない。

そうはいっても、なにごとも初めての人というものは強烈に記憶に残るものだから、元カノが羨ましくもある。わたしと関係が終わったあとは、わたしのことなんてすぐ忘れてしまうかもしれない。それは辛い。元カノより愛されていそうだなって感覚はあるけれど。

元カノの話を聞くのは楽しい。このひとはそういう子が好きで、そういうふうに愛していたのかと思うと、恋愛観みたいなものを直で感じられる。わたしもその元カノと同じような愛し方をされるかもしれないし、もっと熱烈に愛されるかもしれないし、逆に落ち着いたような、冷めたような愛し方になるかもしれない。そういうことを考えるのがわりと好きだ。

すきなひとには、永遠にわたしのことを元カノのフィルターをかけて見ていてほしい。ここは元カノに似てるなとか、ここは元カノとは違うなとか。何年もずっと一緒にいたらきっとそんなことは考えなくなるのだろうけれど、そういう見方をされていたい。こんなことは、じゅうぶんに愛されている確信があるから思えるのだろう。


この文章が公開される予定のあと4か月後、10月中旬にもまだあのひとと関係が続いていることを祈る。